突然ですが、あなたが不治の病を患ったらどうしますか?
私だったら何も考えられず途方に暮れてしまうかもしれません。
広告プランナーの藤田正裕さんという方をご存知でしょうか?
国の難病に指定されているALS(筋萎縮性側索硬化症)を患っている方ですが、自分が病気を患っていることを逆手にその病気のことを積極的に広めていこうという試みをしています。
そんな藤田正裕さんのwikiプロフィール、出身大学や経歴についてご紹介していきたいと思います。
また、2017年現在の病状や、彼女や結婚についても触れていきます。
藤田正裕さんのwikiプロフィール、出身大学や経歴について
2017年現在、藤田正裕さんはALSという病と闘病中ですが、どのような過去を過ごしてきたのでしょうか?
wiki風にプロフィールや大学、経歴についてご紹介していきます。
藤田正裕さんは、1979年11月30日東京生まれ。
身近な方にとっては、名前よりも「ヒロ」という愛称の方が聞き慣れているかもしれません。
藤田正裕さんは小さい頃から父親の仕事で海外を渡り歩いてきました。
アメリカ、イギリス、スイスなどに住んでいたことがあります。
小さい頃から海外でいろんな知見を広げることができて羨ましいと思う反面、アイデンティティの問題で苦労したのかなとも思いました。
というのも、小さい頃はアメリカンスクールに通っていたのです。今でも藤田さんの情報発信は、日本語のものと英語のものがあります。バイリンガルのようなので日本という枠組みの中では収まらない方だったのでしょう。
中学は、御茶ノ水女子大付属中学校に転入し、高校はアメリカンスクールWhittier Collegeへ入学しました。
しかし、大学はハワイの大学Hawaii Pacific Universityに進学。
卒業後は、そのままハワイで就職です。
やはり、一度海外での生活を経験すると日本での生活は息苦しい部分があるのでしょうかね。
日本の企業では、藤田さんのような学歴を持っている方はかなり重宝されるでしょう。
それでも、すぐに日本で就職せずに海外を選んだのは日本の企業は魅力がなかったからなのでしょうか(苦笑)
藤田さんの経歴は、
ハワイのシェラトンホテルでコンシエルジュを務める
2004年に日本に帰国し、国際広告会社(株)マッキャンエリクソンに入社。同社でプランニングディレクターとして活躍
といった感じです。
素晴らしい経歴ですよね。ハワイのシェラトンは本当に良いホテルですし。何度でも訪れたいとこですよね。
順風満帆といった感じに見えた藤田さんの人生ですが、ここで思いもよらない事態が生じてしまったのです。
2011年にALSと診断されることとなったのでした。
藤田正裕さんは結婚している?彼女はいるの?
ALSに罹患してからは、生活するのがやっとの状態になってきました。
結婚はしたかったでしょうが、自分の病気のことを知れば知るほど将来を楽観視できないことを悟っていたはずです。
藤田さんのような賢く、世のために動ける方は、結婚sいて自分と一緒になると辛い思いをさせてしまうという思いがあったと思います。
今も結婚はされていません。また、彼女についも同じ理由でいないと思います。
しかし、藤田さんには、藤田さんを慕ってくれる友人がたくさんいます。自分の意志を代弁してれる法人、ヘルバーさん、家族がいます。それだけで十分なのかも知れません。
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2017年現在の藤田正裕さんの病状は?
この記事を読んでいただいてる方は、すでのALSについてご存知のからが多いでしょうから説明は省きますが、診断されてから徐々に筋力が落ちてきて、体が言うことを効かなくなってきます。
藤田さんも例外ではなく、2013年、本を出版された時には、すでに顔と左手の人差し指しか動かせない病状でした。
それでも、当時は、指が動いたのでパソコンを使って文章が書けていました。
当時出版した本はこちらです。
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しかし、徐々に指も顔も動かなくなってきました。
2016年頃には、眼球しか動かせない病状でした。
どうやって意志の疎通を取っていたのかというと、パソコンのキーボードを視線で操作して会話をしていたのです。
しかも、自発呼吸もできなくなってきたため、呼吸器もつけました。
この時点で、もう自分の力だけではいきていけない状態になったわけです。
想像を絶する選択だったと思います。
しかし、藤田さんはそれでも広告プランナーとして、一人の表現者として、世間にこのALSという病気について広く知ってもらおうと活動していくことに決めたのです。
その活動が評価され、2016年には、日本で最も権威のある広告賞ACC CM フェスティバルでグランプリ、総務大臣賞受賞したのです。残念ながら体調やヘルバーさんの関係で授賞式には出席できませんでしたが、藤田さんの活動が認められた瞬間でした。
しかし、無常なことに、病状は刻々と悪い方向へ向かっています。
2016年12月の藤田さんのブログでは、眼球も動きが悪くなってきたということです。
藤田さんにとっては、眼球の動きが最後の意志疎通の手段なのです。生命線なのです。
2017年に入り現在、2ヶ月ほど経ちましたが、病状もさらに悪化しているかも知れません。
なんとか最後まで、藤田さんの気持ちが届けられたらいいなと思っています。
最後まで、最後まで、自分の決めた道を全うしていただきたい・・・心から願っています。
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