こんにちは、チャッピです。
今回は映画監督である鈴木清順さんについてみていきたいと思います。
独特の世界観を持つ鈴木線順監督は、世界中の映画技術に影響を与えてきました。
そんな鈴木清順さん、現在私生活では、48歳差の嫁をもらうなどなかなかのやり手です(苦笑)
家族に支えながら生活しているようですが、どういった経緯で結婚されたのかも興味がありますのでその辺りを詳しくご紹介します。
また、経歴や代表作についても少しふれていきましょう。
鈴木清順さんと妻・嵩子さんが家族になるまでの馴れ初め
鈴木清順監督は1923年生まれなのですが、1950年27歳のときに結婚されました。
そして、後述しますが妻と結婚した後、家族の支えの中徐々に映画監督としての評価が高まってきます。
そんななか、1997年の74歳のときに前妻を亡くされました。
辛く地味な下積み時代からずっといっしょにやってきた奥様を亡くされてさぞ辛かったことでしょう。
しかし、鈴木清順さんの青春?はここで終わりませんでした。
現在の妻である、嵩子さんとの出会いです。
馴れ初めはそれほどドラマチックな感じではありませんが、2006年ごろにお二人は出会います。
嵩子さんは、映画DVDなどに編集する会社の編集者だったのですが、もともと鈴木清順監督の大ファンでした。お二人は出会ってすぐ意気投合しました。
それからすぐにいっしょに暮らすようになり結婚するにいたったそうです。
70を過ぎても女性に好意を持ったりもたれたりするってすごいことですよね。
おそらく、監督をしているだけあっていつまでも心が若いのでしょう。
いろいろなことにアンテナを張ってよりよい作品を作るという精神がそうさせているのでしょう。
しかし、精神的には若くても体はそうはいきませんでした。
再婚する頃には、持病に肺気腫をもって呼吸が苦しかったため、清順監督は車椅子生活を強いられ常に酸素をつけている状態でした。
それでも妻の嵩子さんは、一生懸命身の回りの世話をしていらっしゃいました。
その支えもあってか80をすぎても新しい作品を世に出そうといろいろと準備を整えているとのことでした。
やはり、人は自分のためだけではなく他人のためにも生きていくことが必要なのでしょうね。
新しい作品が出来上がるのを楽しみにしていたいです。
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鈴木清順監督の経歴や代表作について
戦時中は、アジアに配属されていましたが、終戦を迎え日本に帰国すると仲間に誘われ映画の世界に入ってきました。
下積み時代は日活で生計を立てていました。
その間、有名な監督に師事をあおぎ勉強しつつ自分の力をつけていったということです。
鈴木監督の映画のこだわりが、日活上層部にうけいれらなかったことから解雇されたりもしました。
その行った際には、妻や仲間たちの支えもありその後の名作を世に生み出す原動力になっていったのです。
本当に多くの作品を残していますよね。
そのなかでも有名なのが、「ツィゴイネルワイゼン」。
ベルリン国際映画祭で審査員特別賞を受賞しています。
そのほかにも、数十本の作品があります。
そして、特徴的なのが、テレビアニメにも関わっていることです。
有名どころではルパン三世、他にもテレビ編集に関わっているんですよ。
鈴木さんの持ち味である映像技術があらゆるところでいかされていたのですね。
映画をつくるという工程はあらためてすごいなと感じました。
鈴木清順さんには、まだまだすばらしい作品を世に残して欲しいなと思います。
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