こんにちは、チャッピです。
エリザシドモアというジャーナリストをご存知でしょうか?
アメリカのワシントンで毎年開催される全米桜祭り。
このワシントンの桜並木が実現したのはエリザシドモアの努力によるものだったのです。
一体どのような人物だったのか、ワシントンの桜並木がどのように出来上がったのかご紹介していきます。
エリザシドモアとはどんな人物だったのか
エリザシドモアとは、アメリカのジャーナリストで1856年にアメリカアイオワ州で生まれました。
エリザシドモアは1884年27歳の時に初めて日本に来日しました。
そこで驚いたのが日本の美しさ。
桜もそうですが、日本人の礼儀正したなど日本文化の素晴らしさに惹かれました。
ちなみに、エリザシドモアは、当時彼女が執筆した雑誌に「TSUNAMI(津波)」という言葉を用いています。実はこれが英語文献において確認できる最も古い時期に当たるそうです。
つまり、「TSUNAMI」という言葉をアメリカに広めたのは、彼女だったのです。
どれだけ日本という国のことを世に広めてくれたのかがわかりますね。
当時、エリザシドモアのように外国を自由に行き来することはとても難しいことだったのですが、なぜそれが可能だったのでしょうか?
実は、エリザシドモアの兄が優秀な外交官だったのです。
その兄について行くという名目で同行することができたためジャーナリストという職業にもかかわらず日本を訪れることができたわけです。
これってとても恵まれた環境ですよね。
しかし、彼女がこういった特殊な環境にいて日本の桜に興味を持ってくれたからこそ、今アメリカのワシントンに桜並木があるのです。
もし彼女が存在しなかったら今でもアメリカで桜を見ることはできなかったかもしれないことを考えると日本人としてはとても偉大なことをしてくれたなという感じですよね。
しかし、日本の桜をアメリカのワシントンに移植するまでの道のりはそう簡単なものではありませんでした。
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エリザシドモアとワシントンの桜並木について
1884年に来日してから、日本の桜の魅力にとりつかれたエリザシドモア。
1885年にワシントンに帰国する時に、ワシントンに桜を植える計画を立てました。
ワシントンのポトマック河畔の埋め立て地に桜を植えたいと考えていたので、個人の力ではどうしようもありません。政府にも働きかけるなど積極的な活動を行なっていたのです。
なかなか大変なことだったでしょうが、当時のタフト大統領夫人のヘレンさんが日本の桜に興味を持っていることから、彼女に手紙を送るという行為いでたわけです。
今の時代では考えられないですからね。
日本とアメリカでは政治の仕組みは違いますが、大雑把にいうと総理大臣の妻に直接直談判したわけですから^^;
ちなみに同時期に、日本人の高峰譲吉(世界的科学者で実業家)もこの活動に大きく貢献しました。
二人の努力と両国の政府の継続的なやりとりの末、1912年に3000本もの桜の苗木が贈られることになったのです。
エリザシドモアがこの構想を思いついてから約30年の歳月が流れていました。
今では、この活動を再評価する声が上がっていて、エリザシドモアについての伝記を作成する団体もいるようですね。
エリザシドモアは、1028年に72歳で亡くなり、現在は縁があって日本お横浜の外人墓地で眠っています。
1912年にはワシントンに桜が送られ100年を記念して、ポトマック河畔から里帰りした桜が植えられたのです。
その桜はシドモア桜とよばれ現在もたくさんの人に親しませているのです。
エリザシドモアを偲んで横浜墓地に桜を見に行くというのも良いかもしれませんね。
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